そもそもジャスミンが十年ぶりに燃次の元を訪れたことがきっかけで、以降燃次は頻繁にジャスミンと会うことになったのだった。 店を始めるにあたり、ジャスミンには必要な資金が足りなかった。故郷では名士である彼女の祖父は、遠い異国での独り立ちを強く望む彼女に対しそれなりの援助はしてくれたが完全なものではなく、足りない分は己で調達すべし、それも修行のうちだとした。そしてジャスミンは、資金を借り入れるには保証人というものが必要なのだということを知り途方に暮れる。彼女にはニホンでの知り合いは少ない。大学の知り合いは、アドバイスは受けられるがカネを借りるための頼みごとなど到底できない。困り果てたジャスミンの脳裏に浮かんだのは、懐かしい昔の知り合いの顔だった。その中で、年齢や職業、所在の行方を絞りこんだ結果たった一人の男にたどり着く。それが燃次だった。 「俺がお前ェの面倒をみてやったのは、お前ェが、何年ぶりかでいきなり俺の仕事場に押しかけて来て、助けてくれってメソメソ泣いたからだ。あんときゃ迷惑したぜ、仕事の仲間にゃ若い女泣かしてんなよ、なんてからかわれるしよう」 「あ、あのときはワタシ…必死で」 「十年か何年か前にちょいと知り合っただけの俺を頼ってくるくれえだからな。しかもカネの話だ、よっぽど困ってたんだろ、そりゃあ」 「ネンジしか…、大人の人で、すぐに会えたのネンジだけだったヨ」 あのとき知り合った仲間。熱斗、炎山、ライカ、テスラ、チャーリー、そして燃次。ニホンにはいないライカとチャーリーは論外として。ジャスミンの感覚で考えれば、同い年で似たような時期に大学に進んだ熱斗には、学校の友達と同じ理由で保証人は頼めない。となると子供の頃から大企業の副社長を務める炎山か、こちらも有名企業の女社長であるテスラか。所在も知れているし、何より金銭的に不自由のない二人だ。連絡さえ取れればもしかしたら…、という期待を込めて会社を訪ねてみるものの、長期海外出張やらスケジュール多忙やらで門前払いを食う。大企業の副社長や社長を相手に、二十歳そこそこの小娘が直接の連絡先を知らないということは相当なハンデだ。何度か挑戦したが、結果は同じで疲労だけが残った。慣れない行動は精神的にも身体的にもかなりのものだった。そもそも他人に簡単には頼めないようなことを、十年も前の知り合いにぶつけてみようというそのチャレンジが無謀なのだと気づいてはいた。 そして。最後に残ったのは…。 とてつもなく特徴があり、おそらくというか確実にニホンに二人と存在しないその名前で検索をかけると、所在は簡単に掴むことが出来た。職人として数々の賞を受賞した功績、社名、工場の場所、一番直近で行われる花火大会の開催情報。あの頃でさえ話した記憶もない、どちらかといえば粗暴でかかわり合いになりたくない類いの男だった。突然訪ねてしかもカネを借りるために保証人になってくれと頼んだところで協力してくれるとは正直思えなかった。 しかしもう、ジャスミンにはその男を頼るという選択肢しか残されていなかった。迷いはしたが、考え抜いた結果訪ねてみることに決めた。これで駄目ならもう、ニホンで薬局を開くことは出来ない。故郷を離れてこの地で店を始めるという夢は潰え、祖父の元へ戻り祖父の店で働き、同門で年頃の男と結婚することになるだろう。ニホンで自分の店を持ちたいという夢を祖父は反対しなかったし、応援もしてくれた。しかし現実不可能となれば、そのような道を通ることになるだろうという確かな予感があった。 自分で決めた人生か、祖父の決めた人生か…。 分かれ道に立ち、ジャスミンは一歩踏み出した。しかし。 「誰だぁ?お前ェは」 それがジャスミンに対面した燃次の第一声だった。 怪訝そうな表情で、口をへの字に曲げて。応接室の入り口で仁王立ちして、ソファに掛けて燃次を待っていたジャスミンを見下ろして。 「若い女で昔の知り合いっつーから誰かと思ったが、顔を見たってわかりゃしねえや。ハハッ」 『お前は頭が悪ィからな~、しょーがねーな!ハッハッハッ!』 「ハッハッハッ!て、誰の頭が悪いってえ!?」 ナパームマンと喧嘩を始めそうになる燃次に、一欠片の希望も持てずにジャスミンは眉をひそめた。 「ワタシ…、ジャスミン、前に、じゅうねん…くらい前に、熱斗、たちと一緒に…ネビュラ討伐の、チームに入ってて…」 「ジャスミン…?チーム…ネビュラ…ああ、んん?」 それこそ小さな子供のように、途切れ途切れに言葉を繋ぐジャスミンを舐めるように覗き込んだ後、燃次はがりがりと手拭い越しに頭を掻いた。吊り目がちの大きな瞳に光る、確かな強かさを認めると明後日の方向を見上げて考え込む様子を見せた。 「そういやあ…?確かちっこい子供で…女の…ああ駄目だ、よく覚えてねえなあ」 この辺りでもう、ジャスミンは目の前が霞むのを堪えることができなくなっていた。 夢を叶えることができないかもしれない絶望、というよりは、緊張の糸が切れたと言ったほうが正しい。炎山やテスラの会社を何度も訪れては追い返されたそのやるせなさと、やっと最後の一人に会うことができた安堵と、新たに生まれた不安…燃次はジャスミンをろくに覚えてすらいない、十年ぶりに会ってもやはりがさつで話をするのも疲れる相手だ。頼みごとをしたところで…。 「ん!?てことはお前、あのチビか!へえ!でかくなったもんだな…あ、どうした?」 「あの…、ワタシ…、」 「おい、えぇ!?な、何泣いてんだ、おい、おい」 膝の上で握りしめた両手は震え、ぽろぽろと頬から転がり落ちてくる涙で濡れた。のどの奥が塞がれたように締め付けられ、胃の腑からは苦いものがこみ上げてくる。伝えたいこと、伝えなければいけないことはいくらでもあるはずなのに、できるならこの場にうずくまって耳を塞いでしまいたいとさえ。そんな自分が情けなく、ジャスミンは自棄になって叫んだ。 「たすけて!ワタシを、助けて!」 そんなことを言うつもりは、なかった…。断じて。後にジャスミンはそう燃次に明かしている。 ハッとして見上げると、面食らった顔の燃次とまともに目が合ってしまった。 十年ぶりに再会したとは言え親しくもない、ろくに自分を覚えてもいない男に対し、甘えた子供のような、もしくは弱い女のような台詞を吐いてしまったことをジャスミンは恥じた。そしてここで泣くべきではない、泣いている暇などないと思う気持ちはあるものの己の情けなさにますます涙が溢れるのだった。 「わかった」 本当に耳を塞いでしまおうかと思った瞬間だった。 「お前の力になってやる」 聞き間違えたのではなかった。特に何という感情のこもった声でもなかったが、肯定の言葉であることは確かで、希望の持てる… 「わかったから泣くな、な」 軍手を外した太い指が視界に入ったと思ったそのとき、ぐいと頬を拭われた。優しくもないが乱暴というほどでもない。しかし皮膚の厚い荒れた指先は、ジャスミンの未だ少女のような柔らかい頬に痛かった。 「悪ィが正直、お前ェのことはよく覚えてねえ。けど、とにかく話してみろ。聞いてやるから」 「…う、ん」 - next - |