基本的に大晦日と元日は必ずどこかしらのイベント会場で新年を祝う花火を打ち上げるため、燃次にとって年末年始に休みらしい休みは無い。 職場全体で見ても数人程度、毎年相談の上交替で休みを取るくらいで、特別休みにこだわるつもりもなく何より仕事の好きな燃次はほとんど毎年出勤していた。 だが、今年は新婚だからという理由で休みを取り、久しぶりに年末年始をのんびり過ごしている。勿論、可愛い可愛い新妻と共に。 「燃次サン、燃次サン!そろそろ起きて?ごはんだってできてるし、朝のうちに初詣行くって約束したネ!」 その新妻、ジャスミンが、十八も年の離れた可愛い盛りの若妻が、まだ朝も早いのに布団から出ろと言う。せっかくの正月だと言うのに、だ。 眠気はあるが、朝飯と言われれば腹も減った。その意味でなら別に起きたっていいのだが、正直もっとダラダラしていたい。ごそごそ布団に潜り込んだ燃次に、ジャスミンは呆れたように続けた。 「燃次サンがお雑煮作ってって言ったヨ!鶏肉とか、ほうれん草とかの!あとはお餅入れるだけ!」 「ううう…」 「ワタシ絶対今年はおみくじ引きた…って、ね、燃次サン!?どうしたネ!?」 急に鳴り響いた燃次の低い唸り声を、遅れて認識したジャスミンが慌てて布団に手をかけた。掛け布団が不自然に盛り上がり、中の体が丸まったような、そんな様子が見て取れる。 「うー…苦しい…この…腹の辺りが…」 「何!?…おなか痛いネ?病気!?…きゃっ!」 布団の中からボサボサ頭と二本の腕が現れ、瞬く間にジャスミンを引きずり込んだ。 「燃次サン!!いきなり何ネ!」 「はは、どうだ?びっくりしたろ?」 「そりゃ、そうヨ!何するネ!」 燃次は薄暗い布団の中で抱え込んだジャスミンの頭、花の香りのする髪に鼻先を埋め、いたずらを成功させた満足に浸った。 「燃次サン、病気は!?」 「ああ!それな!可愛い嫁さんにくっついたら治るってえやつだ!」 「なっ!何言ってるネ!もう!」 掛け布団の下でくちゃくちゃになった毛布に絡んで居心地悪そうにするのを引っ張り上げ、細っこい体を抱きかかえる。ふくれっ面だったのが、視線が合うとやわらかい笑顔に変わったのを見て、燃次も白い歯を見せた。 知り合った頃にはまさか数年後にこうなっているとは想像もできず、今でさえどこか夢の中の出来事のように思えるほどなのだが、なんと言うかまあ好いた同士で籍まで入れたのだから、いきなりこんなことをしたって最後には笑って許してくれるはずだと確信している。それはもう、少し傲慢なくらいには。 限度がわからず怒らせたことも何度かあるが、今はどれくらいなら許されるのか何となくの理解はできている。せめてその範囲でなら少しくらい羽目を外しても、と思わないではいられない。ゆうべだって十分に楽しいことなどして夜更かしをした。気絶するようにして眠ったと思ったのに、こんなに早起きして身支度を整えただけでなく朝飯の準備を、しかも燃次のリクエスト通り”エンドっ子風”の雑煮をこしらえてくれるなんてことがあるなんて、なんてそんな、なんて。 「…いや?ちょっと待てよ、ちょっと…」 「なあに?燃次サン」 小首を傾げるジャスミンの頬に、半ば無意識で唇を押し当てながらぼんやりと考え込む。くすぐったい、と体を捩るジャスミンをさらに強く抱いて。 先ほど布団から頭を出したその一瞬で、部屋の隅の石油ストーブが赤々と燃えているのが見えた。燃次がこの部屋に越してくる際、実家から持ち込んだもので、全体的に角ばった形の古臭いデザインの上、黒っぽい塗装はところどころ剥げかけている。おまけに小型だが、狭い部屋であるしこれで十分暖かい。ジャスミンが使い方を覚えてくれたおかげで、元日の早朝だと言うのに空気がほどよく温まっている。 瞼の裏で思い返すにそのストーブの上、平らな網のようになった上面に転がされた白い切り餅がいくつか…ふっくらと膨らみかけていたような、そう言えば灯油の匂いで気がつかなかったが餅の焼ける香ばしい匂いもかすかに漂っていたような… 「きゃあ!」 ジャスミンが二度目の悲鳴を上げた。突然掛け布団が跳ね飛ばされ、外の世界の明るさに目が眩んだからだ。 「こいつぁいけねえ、愚図愚図してたら餅が焦げちまう!大ぇ変だ!」 燃次はジャスミンをお姫様抱っこで抱え、勢いよく布団を飛び出した。そのまま台所までひとっ飛びで移動、ジャスミンを丁寧に降ろすと背を屈め、ほんの一瞬だけ、盗み取るように唇を触れ合わせる。その後弾かれるように洗面所に向かって駆け出した。 「すまねえ嬢ちゃん、雑煮の用意よろしくな!悪ィが餅、二つばかし避けといてくれ!海苔巻いてそのまんま食いてえからよ!」 「もー!燃次サン!」 落ち着く暇なく一方的に喋くる燃次に頬を膨らませ、ジャスミンは声を荒げた。 そしてもう一言。 「嬢ちゃん、じゃないヨ!!ジャスミンって呼ぶネ!!」 何年経っても嬢ちゃんとしか呼べない、愛する妻の名前さえも覚えようとしない燃次。何遍言っても聞かない、その都度すまなそうに謝るくせに治りはしない。仕方がないから許す…とはならないのだが、やっぱり何故か憎めない。 「すまねえすまねえ、ついうっかりしてよー!」 ジャスミンはため息をつき、困ったように笑うと、今回も律儀にすっ飛んで来た燃次を両手を広げて迎えた。本気で怒られているわけでないことに気をよくした燃次は、覆いかぶさるようにしてジャスミンに抱きつき、その額に何度も口付けた。 「燃次サンくすぐったいヨ、もう………んっ…ダメ、これ以上は…」 熱すぎる抱擁の傍ら、ストーブの上で限界まで膨れ上がった切り餅が一つ、ぱちんと音をたてて弾けた。 - end - |