数年が過ぎた今も、当たり前のように年に一度は必ず行われるクロスフュージョンメンバーの同窓会。 メンバーの中でも毎回必ず欠席と決めている者が数名おり、あまりクロスフュージョンには関係のない人間のほうが毎回顔を出すこともあって一見何の集まりなのかはよくわからなくなっているが、会場は必ずカレー屋MaHa壱番'と決まっているし、結局は似たような顔ぶれで目新しさもないのだが。 今回は、熱斗とメイルが正式に婚約したことの発表の場でもあった。祝福ムードの店内は熱気に包まれ、誰もかれもがふわふわと浮ついている。 そんな中、ただ一人おどろおどろしい負のオーラをまき散らす男がいた。元々メイルに恋心を抱いていた大山デカオである。そしてそのデカオに隅の席まで追い込まれ、酒臭い息を避けつつもあまり適当にあしらうこともできず困っているのは、あどけなさは残しつつも美しく成長したジャスミン。 「だからさあほんと、俺、ジャスミンちゃんのことはメイルちゃんに関係なく好きだったんだよお…うん、そりゃあ元々はメイルちゃん一筋だったんだけど、ジャスミンちゃんに出会ってからの俺はさあ、もう全然、ジャスミンちゃんに夢中だったし…」 「う、うん、デカオ、酔ってるね?お酒、これからは飲まないほうがいいね…」 乾杯のビール一口飲んだだけとは到底思えないほどべろんべろんに酔っている。 「ジャスミンちゃんも、昔は熱斗のこと好きだったんだろ?でもほら、こうなっちまったらもう仕方ないよなぁ~みたいなとこ、ない?あるでしょ?なんかほらそー考えたら俺達ってやっぱすげーお似合いかな~とか思うんだよね!」 デカオはジャスミンの手を取り、急に二枚目顔を作って背景にきらきらと露をたたえた薔薇を散らした。デカオにとっては幸いなことに、ジャスミンにとっては不幸なことに、今この店の一番奥のボックス席にはこの二人きりしか残されていないのだった。年の頃が同じメンバーは皆熱斗とメイルのテーブルを囲み、やれ付き合い始めはいつだったのきっかけはなんだのと盛り上がっている。熱斗とメイルの関係については元々周知の仲であったし今さら新たに知りたい情報もありはしないと、大人たちはカウンターか他のボックス席から酒を飲むかカレースプーンを口に運ぶかしながらそんな光景を黙って見ている。ただ皆デカオの醜態にも気づいてはいたが、まあ、事情もわからないでもない仕方がないものと放置していた。 「う~ん、あの、わたし、結構前からもう別に好きな人がいたから…熱斗とメイルちゃんには幸せになってもらいたいなって思うだけよ…」 「ええ!?好きな人!?誰!?付き合ってんの!?」 「ちょっと声が大き…デカオ、落ち着くね」 「これが落ち着いていられるか!!誰なの、ジャスミンちゃん!!」 詰め寄るデカオの肩を押し返し、声をひそめて答える。 「付き合ってないよ…名前は秘密…片思いよ、私が勝手に好きなだけ、たぶん告白したって受け入れてもらえないね」 「じゃ、じゃあ俺にもチャンスあんじゃん!!ねえ!!そうでしょ!!」 「ちょっ、静かに…」 「俺にしなよ、ジャスミンちゃん!!ねえ!!俺にして!!」 「デカオ、落ち着くね!」 わあ、と歓声が上がって、はっとしたジャスミンが思わずそちらを見ると熱斗とメイルがキスするキスしないとかでもめている。周りが「キス!キス!」と囃し立て、当事者の二人は顔を真っ赤にして手を振り断っている。 視線を元に戻すと、デカオがじっとりとこちらを見つめている。 「キスってさあ…いいよなあ…すげーいいよなあ…俺もキスってもんをしてみたいなあ…」 激しく嫌な予感に襲われる。もういい加減にしなさいと怒鳴りつけて説教したいところを必死で我慢する。この場で大声を出してみっともないところを晒すわけにいかない理由があった。 困り果てたジャスミンは、ついに助けを求めるべく辺りを見回した。が、最早皆デカオの方は意図的に見ないように心がけているらしく目も合わない。 居もしない、存在自体が無いものとして扱われる絶望感。涙目になって近くにいる人間一人一人を目で追う…エレキ伯爵、ヒノケン、この辺りはもう全くの無視を決め込んで好き勝手に酒をあおっている。親しくもないし仕方がない。誰か、助けて、そう心から願った瞬間。たった一人、少し離れたカウンター席でがつがつカレーをかきこんでいた燃次が振り返った。安堵で思わず笑みがこぼれる。ジャスミンにとって一番気づいてほしい相手だった。 (たすけて!ねんじさん!) 口パクでもなんとか伝わらないかと必死に訴えかけてみる。スプーンを置かせるところまでは簡単だったのに、明らかに頭の上に「?」を浮かべている燃次のとぼけ顔には悲しみさえ覚える。いまだに握られ続けていた片手をついに無理やり外して手招きし、隣で泣き崩れるデカオを指さし手を振り首を振るなどしてやっと「?」が「!」に変わった燃次を呼び寄せることができた。 「おいおい、もうそんな酔ってんのかぁ?みっともねえな、女に絡んでよう」 空いていた向かい側の席に燃次がどっかりと腰をおろした。たしなめる口調ではあるが、いたって朗らかな声色。期待した通りの行動に出た燃次にジャスミンはほほ笑み、わずかにゆるんだ拘束を振り払って素早く燃次の隣に移った。 「なんだよ、あんた…関係ねえだろ!?あんたには!あんたみたいなおっさんに!!」 突然の闖入者に、デカオはあからさまにむっとした顔で威嚇する。 「まあそう言うなよ。困ってる奴がいたら助ける、これは俺の癖みたいなもんでな」 「誰が困ってるって!?ジャスミンちゃんは、やさしーーーく、俺の話を聞いてくれてたんだ!俺にはもうジャスミンちゃんだけなんだよお…邪魔しねえでくれよお…」 テーブルに突っ伏しておいおい泣くデカオを、ジャスミンは怯えた目で見ている。燃次の体に隠れるようにぴたりと寄り添い、デカオからは見えないようにテーブルの下で燃次の作業着の端をぎゅうと握りしめていた。裾を引かれる違和感に気づき、燃次は途端に語気を強めた。 「いい加減にしろよ。だらしねえ、しゃきっとしやがれってんだ」 「な、なんだって!?」 今日のデカオにこんな口をきいた人間はいなかった。決定的に失恋したことを憐れまれ、気遣いからちやほやされて思い上がったところへの意外な一撃。 「大体な、惚れてた女の幸せくれぇ笑顔で祝ってやれ!それができねえなら顔出すな!しかも酒に呑まれてくだ巻いて、別の女を口説くなんてなあ最低の野郎だテメエは!」 「な、な、な…」 デカオの顔がみるみるうちに真っ赤に茹る。 ジャスミンが燃次を頼りきっているような態度を取っているのもまた気に入らない。 「そこまで言われちゃこの大山デカオ、黙っちゃいられねえ!!」 「ハッ!腑抜け野郎がよく言うぜ!!ならどうする!!」 噛みつくように猛々しく燃次が吼え、デカオも負けじと声を張り上げる。 「勝負だっ!!ネットバトルで勝負だあ!!」 それまでほんわかピンク色だった場の雰囲気が一気にざわついた。 「ネットバトル!?」 熱斗やディンゴも急に目の色を変え、興味なさそうに振舞っていた大人の男達も振り返った。 「いいだろう!さあプラグインしろ、酔っ払い!できるもんならな!」 わざと挑発するような口をきき、燃次はPETをテーブルに叩きつけた。 「言われなくたって…!!ガッツマン、行け!!プラグイン!!」 「プラグイン!燃次郎、トランスミッション!!」 店主、そして店員の趣味で、この店では各テーブルでネットバトルを楽しむことができる。本日貸し切りのため、何となくでプラグインされた身内のナビが数人、平和な雑談に花を咲かせていた程度だったMaHa壱番'の電脳はネットバトルのためにプラグインされた当事者、野次馬ナビたちにより突然賑やかになった。 「どうしたんだよデカオ!なんで、燃次さんとネットバトルなんて!」 不穏な空気を察した熱斗がデカオの肩を掴んで揺する。 「邪魔すんな!これは俺とおっさんの決闘なんだ!」 「決闘!?」 「そうさ!勝ったらジャスミンちゃんにキスしてもらえるんだ!!絶対勝ってやる!!」 「な、何言ってんだおい!!そんな約束はしてねえぞ!!取り消せ馬鹿野郎!!」 突然付け足されたとんでもない賞品に驚き、焦る燃次をよそにデカオはもう夢中で手持ちのチップを漁っている。もう誰が何を言っても耳に入らないようだ。観客がざわつき、野次を飛ばす中、追い討ちをかけるようにジャスミンが燃次を見上げて言った。 「いいよ!わたし、勝った人にキスするね。約束!」 わあっと周りから歓声が上がる。 にこ、と屈託ない笑みを浮かべたジャスミンの隣で燃次は片手で顔を覆い、もうどうなっても知らねえぞとかぶりを振った。 「アンタには恨みもないでガスが、デカオの恋路はこのガッツマンが邪魔させないでガッツ!」 「フン!余計なお喋りは要らねえ、さっさとかかってきな!」 いかつい体躯に似合わず見るからにお人好しといった調子のガッツマンだが、デカオのためならいつどのような理由でも全力で戦う。そんな性格を見透かしたようにナパームマンが威勢良く啖呵を切った。 「望むところでガス!ガッツハンマー!!」 降り下ろされたハンマーから放たれ地面を這いながら襲い来る衝撃波をかわし、ナパームマンは頭部をガッツマンに向けた。 「ナパームボム!」 ドン、と爆発が起こる。爆風が野次馬ナビたちを直撃し、どっと歓声が上がった。 「なんだか変なことになっちゃったね…」 フィールドの隅でロックマンが隣のロールに苦笑いを向ける。ロールはロックマンの腕を抱き、つまらなさそうに唇を尖らせた。 「今日はメイルちゃんが主役なのよ?こんなことに付き合いたくないわ、私」 「まあまあ、そう言わずに…」 「うちのオペレーターがモテモテだからって僻まないでくれる?二人の男がジャスミンを取り合ってるのよ、素直にすごいって言えないの?」 なだめるロックマンを挟み、ロールの反対側からメディが顔を出した。 「取り合ってるって言うのかなぁこれ…」 ロックマンが苦笑いを崩さずやんわりつっこむ。 「そ…!そんなんじゃないわ、あなたこそ嫉妬してるでしょう!?二人揃って失恋したんだもの!」 「アハハ、そんなことで私たちが嫉妬?笑わせないで。ジャスミンはとっくに新しい恋を見つけてるわ!何年前の話をしているの?データの古いナビっていやだわ~いつから更新されてないのかしら」 顔を真っ赤にして怒るロールと意地悪な笑みで余裕を見せるメディ。悟られないようにふるまっているが内心悔しがっているのはメディのほうだ。メイルは熱斗を、ロールはロックマンをそれぞれ手に入れたのだから、こちらとしてはこの程度の毒は吐いてもいいだろう、という思いはある。 ギャラリーがそんな会話を楽しんでいる間にも、バトルはより激しいものとなっていく。 「バトルチップ、エナジーボム!スロットイン!」 三度の爆発はガッツマンに大ダメージを与えたかに見えたが、煙が晴れるとその姿はバリアに包まれていた。デカオが得意そうに鼻をすする。 「燃次郎、アレだ!アレをやれ!」 「了解!ナパームボム!」 燃次の意味不明な指示も、息の合った二人の間ではしっかりと通じているらしい。しかしがむしゃらに撃ったナパームボムは全て明後日の方向に飛び、ガッツマンに当たることはなかった。もうもうと立ち昇る煙が辺り一面を覆う。 「ボム系の攻撃しか能がねえのか!?こりゃ楽勝だなあ!見た目通りすぎてつまらねえよ!」 その頭が火を噴くアクションを見ればすぐにわかるぜ、とふんぞり返ったデカオに冷ややかな視線を向け、燃次はため息をつきながらチップを数枚スロットインする。 「やっちまえガッツマン!メガガッツパンチ!!」 「お、奇遇だなァ。燃次郎、ファイアパンチ!!」 ナパームマンの右腕が変化し、ボクサーグローブを着けた拳を作った。ガッツマンとナパームマン、拳と拳がぶつかり合えばファイアパンチの効果で激しい炎に包まれる。 「ウオオオ!!」 「がんばれ、ガッツマン!!」 力ではやはりガッツマンがはるかに上回り、全身を包む炎に苦しそうな顔は見せてもナパームマンの拳をがっちりと押しとどめている。 「ジャスミンちゃん、見てる!?俺が勝つとこ見逃さないでよ!」 デカオはへらへらと気の抜けた笑みを浮かべ、ジャスミンに手を振った。 ここまで、おおむね良い勝負ではあったが、燃次はいつものようなただひたすら攻める姿勢を見せていなかった。デカオの出方を試したり、焦らしたりもした。そのために動きの激しいガッツマンのほうが、一見優勢と思われていた。 デカオの呼びかけにまともに返す余裕もなく、ジャスミンは苦笑いで肩をすくめるのが精一杯、テーブルの下で燃次の作業着を握る手はぐっしょりと汗をかいていた。燃次はそんなジャスミンを慰めるように目くばせし、ニヤリと唇の端をつり上げた。 「燃次郎、押し返せ!」 「うおらあああっ!!」 細い体のどこにそんな力が隠されているのか、ナパームマンが徐々に押し返していく。 「ひょろっちいナビのくせして!パワーでガッツマンに勝てると思ってんのか!?俺のガッツマンをそんじょそこらのナビと一緒にすんなよ!」 デカオの叫びに応えるように炎を振り切ったガッツマンがナパームマンを吹っ飛ばす。先程のナパームボム乱発によって立ちこめていた煙を切り裂き、質量を感じさせないほどの見事な放物線が描かれるが、パネルに叩きつけられる寸前でナパームマンは猫のようにくるりと体を回転させ鮮やかに着地した。 「そうだなァ。別に、力で勝とうなんざ思っちゃいねえよ」 その動きを予め予想していたように、涼しい顔で燃次がその太い鼻筋をなぞった。 「なん…、ああっ!?」 デカオが何か言おうと前のめりにPETを覗き込んだその瞬間、引き始めた煙の切れ間から置物のような何かが姿を現した。 「か、カウントボム!?いや違う、これは…!!」 デカオの見立てに間違いはなく、カウントボムが姿を現した。そして確かにそれは明らかに普通のそれとは違う、はるかに大きなボムだった。 「わりーな、言い忘れてたぜ。プログラムアドバンス、ギガカウントボム!」 いつ設置したものか、このタイミングでカウントがちょうどゼロになる。ドカン!!と一際派手な爆発が起こった。 目眩ましの煙、無謀な力比べ。燃次は単にこのボムの存在を気取られないよう時間稼ぎをしていたに過ぎなかったのだ。ジャスミンは燃次の思惑を知り、息を飲んだ。 「避けろ!!ガッツマン!!」 「もう爆発してんだ、無茶言うなよ…」 燃次の独り言のような呟きを待たず、大きくログアウトの文字がデカオのPETに踊った。 「ガッ…ガッツマーーーン!!」 デカオの絶叫が店に響く。 テーブルに泣き伏すデカオ、何の感慨もなさそうにナパームマンをプラグアウトさせる燃次、ほっとした顔で燃次を覗き込むジャスミン。ギャラリーからは喝采が起こった。 「燃次さん、ありがと!」 「いや。何てことねえよ」 にっこりとほほ笑み合う、ジャスミンと燃次。 「おいおい、何プログラムアドバンスとか使ってんだよ!大人げねえな~」 心底楽しそうにヒノケンが燃次の肩を小突きに来た。 「はは、なんつーかな、真面目に酔っ払いの相手すんのもめんどくさくなってよぉ」 燃次はバツの悪そうな顔でヒノケンを振り返り、頭を掻いた。不思議そうにジャスミンが見上げる。 「デカオ~、まあ元気出せよ!」 ディンゴが肩を叩くがデカオはもうぴくりとも動かない。 「デカオ?なあおいデカオ?」 覗き込んだ熱斗が、ごくりと唾を飲み込み呟いた。 「寝てる…」 どっと笑い声が起こり、場の雰囲気が急に和やかなものに戻る。 「ハハハ、こりゃいいや!ハッハッハッ!!」 燃次は声を上げて笑い、席を立った。 「ちょうどいいや、俺ぁここらで退散するぜ。おう、代金は燃次郎に言っといてくれよ」 *** 「燃次さん、帰っちゃうの?」 「キスはー?」 口々に言う取り巻きにひらひらと手を振り、バカ言うんじゃねえと言い捨てて燃次は店を出た。 夜風は火照った体に心地よく、勝負を終えたばかりの良い気分をさらに晴れ晴れとしたものへと押し上げる。 女の唇を賭けたネットバトルに、勝つ。 しかしその権利はあえて蹴る。 なかなか良い塩梅だ。 燃次は一息つき、さて寄るところも無いし帰るかと先程までの余韻を振り切ろうとした。そのとき。 「燃次さん!!」 荷物を脇に抱えたジャスミンが走ってきて、燃次の腕を取った。 「お、おう、嬢ちゃんか。おどかすなよ!」 「ごめんなさい…、はぁ、はぁ、」 「どうした?嬢ちゃんはもう自由なんだぜ、俺んとこなんかにわざわざ来なくたって…俺は嬢ちゃんに妙なことをするつもりはねえし…」 「違うの…、違うの、燃次さん」 息を切らせ、上気した頬に潤んだ瞳で見上げてくるジャスミンに燃次は圧倒され、困ったように頭を掻いた。 「わたし…、わたし、今日、燃次さんが助けてくれて、本当にうれしかったよ」 「ああ、ああ、そうかい」 立ち話も何だと、少し歩いて見つけた公園のベンチに座り話をする。 静かに話すジャスミンには優しく答えるが、燃次は遠くを見つめたままジャスミンの方を見ることはない。 「あの坊主も悪い奴じゃねえしな、酔ってただけだろ。許してやんな」 「うん…」 「まあ、ちっとタチの悪い酔い方だったからな、疲れたろ。すぐ気づいてやれなくて悪かったな」 「ううん。わたしこそ、わたしのせいで燃次さんを巻き込んじゃってごめんなさい。いきなりネットバトルになるなんて」 「はは、いいいい。なんてことねえよ、ネットバトルを挑まれたんじゃあな。男なら当然、受けて立つもんさ」 見栄を張るわけでもなく、自然体でさらりと言ってのける燃次の横顔をジャスミンは頬を赤らめて見つめていた。 「燃次さんがプログラムアドバンス使うとこ、わたし、初めて見たね。とってもかっこよかったよ!」 「ああ…。あんなもんは別に、どうってことねえよ」 途端に燃次の表情が曇る。 「どうして?勝負だってすぐに決まったし…」 「んーまあ…なんて言うかな。あんなもんをありがたがって使うのなんざ、ガキのうちだけなのさ」 ヒノケンにからかわれた燃次の反応がやはりつまらなさそうなものだったことを思い出し、ジャスミンは首を傾げた。 「そう…なの?」 「まあな。今回は、ケツの青いハナたれ小僧の鼻っ柱をへし折るにゃあ、ああいうのがちょうどいいと思っただけだ」 闘争心をたぎらせるのは悪党の敵が相手のときだけ、仲間に対しては朗らかで穏やかないつもの燃次と比べるとかなり手厳しい言葉だ。 「ウィルスバスティングならともかくな。大人同士の勝負じゃ、あんなつまらねえ大技に頼らねえで、もっとちまちました駆け引きってものを楽しむもんなのさ」 「でも、気づかれないように作戦…煙で…」 「ハハッ!あれこそ使い古したような手さあ!みっともねえ。とてもじゃねえが、褒められるようなもんじゃねえよ…」 どこか遠くを見つめ、面白くなさそうに呟く姿。ジャスミンの知らない燃次がそこにいた。ズキズキと胸が痛いほど疼く。ジャスミンはどうにも思いつめたように、燃次の膝に手のひらを置き距離を詰めた。 「燃次さん、わたしっ…わたし、今日、燃次さんが来てくれたから…、ほんとにうれしくて…、」 「ん!?どうした嬢ちゃん、いきなり何の話…、」 「ごめんなさい、燃次さん、わたし、」 「っ…!」 燃次の懐に頭を潜り込ませ、ジャスミンは体を擦りつけるように抱きついた。 反射的に両手を上げ、燃次は硬直した。 何もしない証であるかのように、満員電車で痴漢冤罪を避けるかのように。そのままのポーズで固まる。 その一瞬を突いて、ジャスミンが燃次の頬に唇を寄せた。 「お、おぉぉおいっ!!」 変なポーズのまますっとんきょうな声を上げる燃次と、構わず捲し立てるジャスミン。 「わたし!燃次さんにキスしに来たね!燃次さん、デカオとのバトルに勝った。勝った人に、わたし、キスする約束だったよ」 「いやいやいや!!ちょっと待て!!だからいいんだってそれはもう…」 「断らないでっ燃次さんっ…わたし、燃次さんのこと、前から…もうずっと前から…」 ジャスミンは肩を震わせ、体を小さく縮こまらせた。 「すきだったよ、だいすき、大好きだったの、ずっとずっと!」 「え、ええ、えぇ!?」 「わたしもう子供じゃないよ!おねがい…、お願い、燃次さん、わたしを好きになって…」 「なんでそんな…無茶言うなよう…」 突然の告白について行けず、燃次はもごもごと口ごもった。 温度差が、すごい。ジャスミンは長年の想いのたけを全て吐き出すかのように、矢継ぎ早に燃次への感情を全力で叩きつけてくる。 「ずっと言いたくて、わたし、でも全然言えなかったよ…毎年毎年…ずっと…、燃次さん、やっぱりわたしのこと、嫌い?好きになれそうにない?」 「お、俺ぁ別に、嬢ちゃんが嫌いなわけじゃねえんだ、ただ、ただ、もったいないってぇだけだよ。俺はおっさんだしな、しかもただのおっさんじゃねえ、嬢ちゃんが子供の頃からおっさんだからな…」 やっと魔法が解けたように、すらすらと燃次は話し出した。 ジャスミンを女として見たことはなかった。出会った頃の少女だったジャスミンは勿論のこと、ついさっきの勝負の場でさえもただの保護者気分で。 「嬢ちゃんには俺みてえなおっさんより同じ年頃の男で誰か…、それこそさっきの坊主でも…真面目に付き合えば、年の離れた俺よりは…」 「いや!わたし燃次さんがいいよ、年の差なんて関係ないね!」 「関係ねえってことはねえよ、その、なんだ、色々とな…大人ってのは、そういう…」 深く考えず条件反射的に渋るばかりの燃次に、ジャスミンはゆっくりと、確かめるように問いかけた。 「燃次さん、キスしていい?く、口に…」 「できれば、燃次さんからしてほしいの、わたし、キスしたことない…から…どうやってしたらいいか…きっとヘタクソ…わたし…お願い、」 「こんなこと言う女の子、燃次さん、きらい?」 媚びるでもなく、いまだに幼さの残る眼差しで見上げてくる。実際の年齢とはとても釣り合わない、こんな、少女のような娘を女として見るなどと…。正直なところ、勃つ自信もない…。 「い、いや、そういう問題じゃあ…嫌いっていうか…」 煮え切らない燃次の態度に耐えられなくなり、ジャスミンはしがみついていた手を離して俯いた。溢れそうな涙を必死に堪えるが、その甲斐もなくぽろぽろと落ちて膝を濡らす。 「ごめんなさい…」 「嬢ちゃん…」 体のほうはまだ青く熟れてはいないが、目の前の娘は確かにもう子供ではなかった。小さく震える姿に少しは可哀想に思い、背を屈めると思いもよらない言葉を囁かれた。 「燃次さん、耳貸して…」 とろりと濡れた目のふちがきらきら光る。 見とれながら、聞き返した。 「ん、んん?耳ィ?」 「ごめんなさいの内緒話したいから、目を閉じて…」 「?」 ごめんなさいの内緒話ってなんだ? 意味は全く掴めなかったが、まあそんなことならと言われた通りに目を閉じ、首を傾げジャスミンに顔を近づける。 「ねんじさん…覚えてる?一緒にゾアノロイドと戦ったとき、燃次さん、わたしを助けてくれて…それでわたし…燃次さんのこと、」 「ん、なんだ、話ってそれか…?」 「ううん…まだ…」 辛抱強く目を閉じたまま待っていると、燃次の唇に何かぷにっとしたものが触れた。 「!!」 目を開けるとジャスミンの顔がすぐそこに…いつの間にか正面にまわり、可愛い顔をしかめ、思いつめたようにぎゅっと目を瞑ったジャスミンの顔が、すぐそこに。 何ということはない、唇をただ当てるだけのキスではあるが、その破壊力は凄まじく、燃次はしばらく何も考えられなかった。柔らかい唇の感触と、つややかな黒髪から漂う花のような匂いだけが感覚に刺さっていた。 「…う、むぐ、」 「ぷは!」 正気に戻った燃次が何か言う前に、弾かれたように大げさに離れ、ジャスミンが真っ赤な顔でぜえぜえと息を切らせて燃次を見上げた。 「息止めてるのって大変ね!」 やり切った満足感だろうか、先程涙に濡れた瞳は輝いて喜びに満ちていた。 燃次にはもう、何かを言う気力もなかった。 ただもう、本当にもう、参った、としか。 「ヘタクソでごめんね、わたし、燃次さん。あっあと…嘘ついたから…それは…ほんとに…ごめんなさ…」 「いや。負けたぜ。嬢ちゃんには」 「なに…?燃次さん…あっ!」 思いがけない燃次の言葉に気を取られ、完全に上の空だったジャスミンは次の瞬間勢いよく引き寄せられ、悲鳴に近い声を上げた。そのまま燃次の胸に抱かれ、太い両手でぎゅうと抱きしめられる。 「え!あ、燃次さんっ」 「何も言うなよ、もう」 「でもっわたし、内緒話なんて嘘言って、いきなりキスした悪い…悪いヤツよ、悪党よ。嫌われるのだって、覚悟して…最後に、わたし」 「もういい。いいんだ、悪いのはなあ、嬢ちゃんじゃねえ。俺だ」 燃次はジャスミンをあやすように背中を撫でた。 「燃次さん、わたし、」 「もっと本気で考えて返事してやりゃあよかったのに、こんなことまでさせちまってなあ」 唇をかすかにジャスミンの頬に触れさせたまま、燃次は優しい声で囁いた。 「俺は今、いま、嬢ちゃんに惚れたよ」 「!」 「ありがとうな。嬢ちゃん。俺を好いてくれて」 「ねんじさぁん…」 ジャスミンの新しい涙は零れ落ちる前に燃次の指に拭われ、軍手を濡らしていった。 ベンチに座ったままの燃次の開いた脚の間に立たされ、改めて真正面から抱きしめられる。燃次のパサついた髪に顔を埋めると、ほんのりと温もった。 「なんだ…大きくなったんだなぁ嬢ちゃん…あんなに…あんなに、小さかったのに…」 小柄ではあるがあの頃よりは背も伸びた。体つきも、つい先程までは細く固そうに見えていたのに抱きしめてみれば柔らかい。間違いなく、女のそれだ。 「わたしもう子供じゃないったら!大人よ!」 「大人ねえ…うん…まあ、なあ…」 「子供扱いしないでほしいよ…」 燃次は誤魔化すように笑い、ジャスミンはそんな燃次に膨れっ面を作って見せた。 「だってもうキスもしたし…。立派な大人よ」 「ハハハ!言うねえ。キスしたら子供じゃなくなるのか、ふうん、なるほどなあ。そいつぁいいや」 その言い方が背伸びした子供そのものであることには、本人は気づいていないらしい。燃次は大笑いしたいのを堪え、続けた。 「そんなもんで満足してるようじゃあ、子供のままごと遊びとたいして変わらねえな」 「そんなこと…!そしたら、じゃあ、」 からかわれていることにやっと気づき、ジャスミンが思いきった反撃に出る。ただし顔も耳も真っ赤にして。 「せっ…せっ…く、す、したら、おとなになれるの?燃次さんもそれをしたから大人になったの?」 「な、何言い出すんでぇバッ…い、いい子だからそんなこと言うなよ!」 小さな花びらのように可憐な唇から生臭い単語が出たことに、目を白黒させながら無意識にジャスミンを子供扱いする。我に返るとやはりジャスミンが不満そうに燃次を睨んでいた。 「………また子供って言った」 「い、いや、お…俺だって、えらそうに言ってるが別に、中身はそんな言うほど大人ってぇわけでもねえんだよ…」 「?そうなの…?」 「ああ。嬢ちゃんとたいして変わらねえかもな…はは…いつの間にかトシだけ食っちまったよ。けど、中身はなあんにも変わっちゃいねえ」 これはジャスミンの機嫌をとるために口にしたのではなく、燃次にとっては嘘偽りのない真実だった。 仕事に明け暮れているうちにいつの間にか月日だけが過ぎていた。本当のところ、内面はいつまでたっても年齢に追いつかない、少年の頃のままと言ってもいい。大人とはもっと、何かどこかが特別で、いつか…多分、二十歳になったその日から唐突に脱皮でもするようにしてなるものだと思っていた、あの頃と何も変わらない。そんな劇的な変化を迎える日などないまま、今日まで一続きに生きてきた。 「ふふ…そう言われたらなんか納得ね。燃次さんって、時々わたしより年下みたいに思えるときあるよ」 いたずらっぽく笑ってジャスミンが燃次を覗き込んだ。 「そうか?ハハハ…まいったなこりゃ…」 「せっ…くす、したら、大人になれるのかな?わたしも、燃次さんも…」 伏し目がちに俯き、大真面目な顔でジャスミンは時折言葉を詰まらせながら、燃次の手をとり軍手のほつれをなぞった。天然か、誘っているのか。しかし、体は熱い。 「そんな、焦って大人になんか、なろうとすんなよ。まだ若けえんだからよ…嬢ちゃんは」 「燃次さんはもう少し焦ったほうがいいよ?」 「俺はいいんだよ、第一俺が嬢ちゃんくれぇのときは…」 めちゃくちゃ遊びまくっていた、とは言わないほうがいいだろう。燃次はそこで言葉を切った。 「なあに?」 「なんでもねえ」 「教えてよ、燃次さん!」 「なんでもねえって!忘れてくれよ」 「気になるね!教えてくれなきゃ…んっ、ん」 突然、燃次がジャスミンの唇にぱくっとかぶりついた。 「、ごまかさないで!んんっ…」 一旦離れた唇を追いかけ、いきなり舌を入れる。驚き引っ込んだジャスミンのそれに絡みつき、愛撫するようにゆっくりと舐め上げた後は少し強引に引きずり出して吸う。 「うーっ…は、あ、はあ…」 「息していいぜ、俺は別に、どうでも」 「ねんじさん、っ」 ジャスミンの細い顎は燃次の太い指によってがっちりと固定され、背に回されたほうの手で体も押さえつけられ身じろぎさえもできない。唇も舌もしばらくは燃次の好きに弄ばれ、解放された頃にはすっかり痺れきっていた。瞳は今にも閉じてしまいそうなほどうつろで、かろうじて瞬きだけを、時折。 「可愛いぜ…嬢ちゃん。わからねえもんだ、その顔なんかはもう、子供って感じでもねえな。充分だ」 「あ、あ、ね、ん、じ、さん、」 「そんな声出されちゃあ、たまらねえよ。抱きたくなるじゃねえか…」 気力を失ったジャスミンの瞳が、何か言いたそうに揺らぐ。 「…だく…って、でも、いま…だいてる…」 セックスするほうの意味で言っていることがわからない。知らない。ジャスミンにとって抱くという言葉は、抱きしめるという意味でしかない。かなり言葉足らずだが、今もうすでに抱いているのにこれ以上何をどうやって、という、無知に溢れた…。察した燃次が的確に否定する。 「そうじゃねえ」 「?」 剥き出しの腕にぬるく、まとわりつく夜気。 繁華街の片隅でぽつりと忘れ去られたような、小さな夜の公園。整備されているのかわからない、錆びた遊具。二人の座るベンチ。 外の世界の喧騒もここでは鳴り止まない真夏の日の蝉の声のように、意識の向こうで薄く遠く響くだけ。年の離れた二人が抱き合おうとも、嫌と言うほどキスしようとも、誰の目にも止まりはしない。 燃次はその猫のような目を細め、捕らえた獲物の顎に指をそわせてゆっくりとなぞった。 「俺も、大人になりてえってことさ…嬢ちゃんと一緒にな」 大人に。セックスしたら、大人に…。 自分で言ったことなのに、燃次がそのことに触れているのだと理解することができない。ジャスミンは薄れそうな意識を保つだけで精一杯、ただ肩で息をしながらぼんやりと燃次を見上げていた。 「ピンと来ねえかい、そうかい」 燃次はさも愉快そうに声を上げて笑い、ジャスミンの頭をごく軽い力でぽんぽんと叩くように撫でた。 - end - |