肌触りの良いシーツに包まれ、沈み込んだ体が思い出したように寝返りをうった。 グロスのつややかに潤んだ、紅い唇がひらひらと蠢く。 「鏡よ鏡よ鏡さん この世で一番美しいのはだあれ?」 彼女の意識はとうに眠りの世界にあったものと気を緩めていたマグネットマンは驚き、一瞬言葉をつまらせた。 『はっ!あの それは…』 「遅い!!」 『も、申し訳ございません』 不機嫌そうな主の顔に、PETの中で大きな体を縮こまらせてうなだれる。 「もう一度聞くわ。この世で一番美しいのは誰かしら?」 『はい、それは、あなた様です テスラおじょうさま』 よろしい。威厳に満ちた声とともに頷き、テスラはまた瞳を閉じた。 「十五分経ったら教えてちょうだい…少し、休むわ」 『かしこまりました』 時計を合わせるため、部屋の時計を確認する。 当然PETの時刻が正確に決まっているのだが、この気難しい女主人は先に目に入った情報を信頼するのだ。いわれのない罪で怒鳴られてはたまらない。 贅沢に宝石のあしらわれた置時計の針は、ぴったり十一時四十五分を指していた。 すぅ、と軽い寝息がすぐに響く。マグネットマンは無言でテスラの顔に見入った。 この時間だけが、唯一彼女を独占しているような気になれる。彼女のこんな無防備な寝顔を見られるのは、現在のところ自分だけだろう。 伏せられていても天へと誇らしげにカールする睫、息を呑むグラデーションに彩られた瞼。激務に疲れ果てた頬は以前よりも少しやつれたように思えた。そう、以前よりも。彼女がまだ、純粋なる若さに満ち溢れていた頃。 幼いながらもしっかりと身に付けたレディとしての立ち居振舞いと 誰もが手を焼くおてんば振りを見事に使い分けることを知っていた。 おまえ、あたしのものにおなりなさいなと 無邪気で高慢ちきな笑顔を惜しみなく与えてくれた頃。 「ねぇいいでしょう?おとうさま。このコをあたしにちょうだい」 「テスラ…いくらお前の頼みでも、それは無理というものだ」 「どうして?ねぇどうして?いいじゃない、あたしこのコが気に入ってるのよ」 「今は、駄目だ。お前がいずれ私の後を継いでくれる日が来れば、そのときには…」 本来の主人、ガウスの目を盗んでは突然に 稲妻のように現れた姫君。繰り返し寄せられた唇。なぜです、と問えばいつも彼女は悠然とほほ笑み、頬杖をついた。おまえほどの男は、そうはいないはずだわ。 彼女が美しく成長した後も、彼女の態度に何ら変化はなく。 しょせんこの身はただのプログラム。もう戯れはおやめくださいと何度叫んでも取り合ってはもらえなかった。 その度に膨れ上がる心。つのる想い。この手で愛しのおじょうさまに、その薔薇色の頬に触れることができたらと渇望し、流星のように飛び交うデータの軌跡を 美しくも殺風景な電脳世界の空を柄にもなく見上げて何度もため息をついた。 彼女に焦がれ、幸せを願い、一言一句に翻弄される。無用な感情はいつしか根をはり、今は深く刻まれた傷となり、この体の フレームの内側から蝕むのだ。そしてそんな自分を見て、意地悪く唇を吊り上げることしかしない彼女。姫君どころかそれはまるで魔女。おじょうさま、あなたは残酷すぎる。 うん、とテスラが小さく身じろぎをした。くすぐったそうに、頬にかかった髪をかきあげる。 どんな夢を見ているのだろう。知るすべも詮索するつもりもないが、魔法の解ける時間が迫っている。 いつまでもこのままというわけにはいかない。 「おじょうさま、テスラおじょうさま」 「んん…」 PETの真ん前にぱたりと投げ出された手のたおやかさに 鮮やかに縁取られた爪の存在感にハッとする。 人間の手は温かいのだと、知識としては知っている。この目の前にある指先も、もし触れることができたなら、やはりそのように感じることができるのだろうか。 テスラの瞼がうっすらと開き、マグネットマンの姿を認めた。 柔らかく折り曲げられた指の向こうに、ふわりと羽根のように軽い微笑。 俺の、俺だけの たった一人の美しい人。 思わず差し伸べた手は、何にも届くことなくただ空を切った。 - end - |