「な・ん・で・あーんな無能な男が取締役やってんのよっ!!あーもう顔も見たくないったら!!キーッ!!」 いつものようにヒステリーを起こし、部屋中ひっくり返す主の姿をマグネットマンはただ呆然と眺めていた。 直立不動で壁際に突っ立ったその目の前を、鞄や書類のファイルに始まり枕、花瓶、そして本来はその中につつましくおさまるべき可憐な花々までもがものすごい勢いで飛んでいった。 「おじょうさま、少し落ち着かれては」 「次の総会じゃこうはいかないわ!見てらっしゃい、ぜーったい戻ってこられないようにしてやるから!!」 あくまで平静を装ったマグネットマンの進言も耳には届いていない様子で、ルビーほども真っ赤なオーラを全身から立ち昇らせてテスラは両の拳を握り、勇ましく語尾を荒げた。 利き手の親指の爪を噛み、うろうろ部屋の中を歩き回り、何事か思索にふけった後でふと思い出したようにボディガードという名の忠実なしもべを振り返る。 「今日はちゃんとシャワーを浴びてきたんでしょうねぇ?」 「………」 「マグネットマン!」 一瞬言葉を詰まらせたマグネットマンを、テスラが鋭く咎める。 「はい…おじょうさま」 「そ。シャツもスーツも替えたようね。よろしい」 ぞっとするほど妖艶な笑みを浮かべ、あくまでゆっくりと一足ずつ、時間をかけて歩み寄る。 改めて値踏みをするように、舐めるように視線を這わせ、するりと蛇を思わせる動きでその首に腕を巻き付け顔を近づけた。尖ったシャネルがきつく香った。 ぬる、とグロスの滑るキスを交わす。 「………」 「ちゃんと元通りに片付けるのよ…?」 いいわね、と囁いてテスラは足早にバスルームへと消えた。扉が閉まってしばらく続いた衣擦れの後に、ざぁ、というシャワーの音が聞こえてくるまでマグネットマンはその屈強な体をぴくりとも動かせずにいた。 マグネッツ家とは先代からの縁で、その権力が娘のテスラに移ったからといって何ら問題はなく忠誠心が揺らぐということもなく、自分としてはいたって真面目に仕えてきたつもりだ。 テスラのことは彼女がまだ学生だった頃からよく知っていたし、当時からその片鱗を覗かせていた才覚、堂々たる風格、それらを裏付ける十分な教養、将来コンツェルンを継ぐに値する有望な器であるのは誰の目にも明らかで、また異性に対する免疫の乏しいマグネットマンにとってはあまりに眩しい存在だった。 テスラの使う湯の音を聞くともなく聞きながら、割れた花瓶のかけらを拾い集める。無残な姿で散らばった花を…彼女のように、乱れてもなお威厳を失わない深い色合いの薔薇の花を無数の棘もろとも掴み上げる。 その色によく似た雫が指先から垂れ、ぽとりと大理石の床に落ちた。何も感じなかった。痛みには慣れている。 元の姿に戻すことのできない豪華な花瓶以外は全て元通りになり、彼の主の寝室がようやく静けさを取り戻したところでバスルームの扉が開いた。 「あら、早かったのね。えらいわ」 彼女の定めた時間を守らなければ、どんな折檻が待っているか知れない。 折檻と言っても特別なもので、並みの男であれば喜んで受け入れるのだろうが、堅物の彼にとってはひどくこたえる代物なのだった。マグネットマンは深く頭を垂れ、いったん息を詰まらせてから、テスラには気付かれないよう注意を払って細く長いため息をついた。 「それじゃ…いらっしゃい、マグネットマン」 「………」 ここからは、ただひたすら耐え忍ぶだけの時間が始まる。彼にとっては十分折檻と言っていいだろう。 バスローブをまとっただけの体が、マグネットマンの視線を絡め取ったままベッドに沈み込む。 すべらかな肌がきらめくようにわざと大げさに足を組替え、テスラは挑発めいた台詞を無遠慮にぶつけた。 「返事が聞こえないわね」 「は…い、おじょうさま…」 ネクタイをゆるめ、上着と靴を脱いでベッドに上がる。すぐさまテスラの腕に捕らえられ、引き倒された。 膝立ちになったテスラがマグネットマンを跨ぎ、さも愉快そうに見下ろして舌なめずりをする 。 丁寧にたっぷりと擦り込まれたのだろう、ボディローションの今度は甘く気高い香りに理性をゆさぶられる。 「あたし、馬鹿な奴らのせいで今夜も死にそうなくらい腹が立ってるの。わかるわね」 「…はい、おじょうさま」 「ストレスって、やっぱりその日のうちに解消したいじゃなぁい?」 「はい、おじょうさま」 テスラの指がネクタイを抜き取り、シャツのボタンを外しにかかる。唇同様完璧に彩られた指先が鈍い光を放ち、薔薇の花びらが踊るように蠢く。 「お前は物分りがよくて、とっても助かるわ。他の役立たずとは全然違うもの…」 「………」 「ねぇ、マグネットマン?」 「おそれいります、おじょうさま」 彼女が自分にしか体を開かないことは知っている。 それが彼女なりの愛情表現なのだとうぬぼれるつもりは毛頭ないが、少なくとも彼女のこの、我儘の域をはるかに飛び越えた戯れを、こうして甘んじて受けることこそが自分なりの愛情表現なのだと自覚はしていた。 「じゃ、さっさと始めましょう。夜更かしは美容の敵だものね」 「おじょうさまっ…」 こうして嬲られるのも何度目だろうか。気性の激しい女主人、テスラ・マグネッツは自分よりも体の大きい男をもてあそび、いたぶるのがお好きらしいと知ったのは一年前、初めて彼女が社長の座につき、改めて挨拶をすませた夜だった。薄々感づいてはいたものの、愛するお嬢様の本性を知り愕然としたのも束の間。マグネットマンは多大なる喜びに打ち震えもした。「そう」でありながら、彼女はこのときまで純潔だった。 「そんな情けない声なんか聞きたくないわ。堂々となさい、お前はこのあたしが選んだ男なのよ?」 エメラルドグリーンの瞳が真っ直ぐにマグネットマンを射る。 蔑むような視線は男を思い通りにする悦びと、揶揄の色が複雑に混ざりこんでもはや愛憎の区別すら見失っているように見受けられる。 「…承知しております、おじょうさま」 こうするほか、自尊心の強い彼女が満足する方法がないというのならいくらでも付き合おう。 ナビとして、彼女を守る者として、男として、あらゆる面で彼女を支えることのできる自分は幸せなのだと言い聞かせる。身を削られるような仕打ちを受けても彼女は、彼にとってはかけがえのない宝物だ。初めて見たときからずっとその気持ちは変わらない。そしてそれはこれからも、恒久的に変わることはないだろう。 マグネットマンは手を伸ばしてテスラの美しく手入れされた髪を梳き、そのままそっと頬を撫でた。壊さぬように汚さぬように大切に、歪むほど深い愛情と尊敬の念をもって。 プライドの高い女主人の、気難しそうに眉をひそめたままの表情が、わずかにほころんで翳った。 - end - |